左手の動きに注目。テイクバック(バックスイング)ともにスゥーとあがっていく様は例えようもなく、美しく自然。テイクバック完了とともに左手も上昇をやめ(12)、それはおさまるべきところに寸分も違わずおさまっている。作為などなにも感じさせないのに、そこには緻密な計算があるとしかおもえないような、完成度の高さなのだ。
なにもテイクバックだけではない、それはこのフォーム全体にいえることである。
安易に芸術的という言葉は使いたくないが、でもそういうしかない。単に美しいだけではない、そこには、なんともいえぬ高貴ささえ香る。そのエレガントさは洗練の極みであり、同時に悪魔的ともいえるほどの凄絶な激しさが加わる。やはり芸術的といわざるおうえないであろう。単なるフォアハンドが、ラケットのひとふりが、芸術にまで昇華した瞬間なのだ。
これは2004年の彼の姿だが、若いころよりもずうっとすごい。いや、若いころもすごかったが、それは健康的でスポーツ的なものにとまっていた。健康的、スポーツ的というのはある意味、真の芸術からはもっとも遠い、というか本来無縁のものである。単に美しいだけでは芸術とは決して呼び得ない。中堀は、時を経て、さらに凄く、美しく、そして深みをおび、その美は、崇高、と呼び得るまでになった、といえば誉め過ぎだろうか?
2005年、彼(ら)はそれまでのテニスを捨て去り、あっとおどろくダブルフォワードスタイルへの転身をはかる。そして国内では連戦連勝、全盛期といっていいような活躍振りをみせることになる。圧勝した東アジア国内予選、大苦戦だった天皇杯準決勝、台湾に返り討ちにあった東アジア五輪、そしてふたたびダブルフォワード強しとおもわされた2006アジア五輪予選、とつぶさにみてきた。まだまだ試行錯誤であり、洗練という言葉からはもっとも遠いところにそのテニスはあるが、その妥協のないチャレンジ精神もまた、いやそれこそが、芸術家のそれ--魂--であり、いったいこれから、中堀・高川はどうなっていくのか?どこまでいくのか?まったく予断を許さない。わくわくするではないか。
(by TOSHI)
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